【バラナシ】火葬場と、街を通して変わる死生観

 

 

エイショイ。
岩だらけの世界遺産、ハンピに着きました。
微熱なう。

 

とよしま(@c5meganemegane)やで。

 

今回はバラナシ編第2弾。
前にも紹介したようにこの街は、人々の生活からとてもとても身近なところに「死」がある。

 

バラナシ最大の仮葬場や街で見かけた風景から、ぼくなりに感じたことを綴りたい。

 

バラナシ最大の火葬場・マニカルニカー・ガート

 

 

バラナシには、計84ものGhat(埠頭・船乗り場)があり、うち2つのGhatで、火葬は行われている。

 

ぼくが訪れたのは、バラナシ最大の火葬場であるマニカルニカー・ガート(Manicarnika Ghat )
バラナシの観光地として有名で、火葬が行われているかたわら、現地の人々や観光客でごった返している。

 

インドの多数を占めるヒンドゥー教徒の人々にとって、バラナシで火葬され、その遺灰をガンジス川に流されることは大変名誉なこと。

 

Ghat近くには死を悟り、火葬を待つ人々が集まる家もある。

一度そちらを覗いてみたかったのだけれど、運が良いのか悪いのかお祭りに出くわしたため、見ることは叶わなかった。

 

この家の入居にはけっこうな値段がするし、火葬を行うのも、インドの人々にとっては決して安い金額とはいえない。

それほどに、ここバラナシで最期を迎えることは、ヒンドゥー教徒にとって特別な意味を持つ。

 

そして、遺灰が流されたガンジス川で人々は洗濯や沐浴をし、われわれ日本人は「きったねぇなあ〜」とボヤきながら、川を泳ぐのだ。

 

火葬場で見た風景

 

 

火葬場には無料で入ることができるのだが、ボランティアを名乗るインド人が”無料で”ガイドするよと申し出てきた。

火葬場近くで知り合ったDeepak兄さんと火葬場に入る。

 

ちなみに撮影は厳禁。
ボランティアに賄賂を渡せば可能らしいけれど、正直、撮影するようなものではない。

 

それほどに衝撃的だった。

 

日本ではみなさんご存知のように、棺桶に入れた状態に火を入れる。

しかしここでは、積み上げた木々の上に、布に包まれた人体が乗せられ、火を灯されるのだ。

 

ガイドの説明なんて耳に入ってこなかった。
なんとなく、目に焼き付けておかなければいけない気がした。

 

30分くらいずっと、眺めていた気がする。

 

Deepak兄さんもいたので退散しようとすると、ガイドが寄付という形でお金を要求してきた。

 

なにぶん学生なもので、気持ち程度に10ルピー渡す。
すると、少なくとも100ルピー渡すのが筋だろうと、これではカルマに反することになるぞと、文句をつけられた。

 

カルマやヒンドゥー教について詳しく知っているわけではないし、正直、100ルピーも大した金額ではない。

けれど、金額が問題じゃねえだろうと、火葬場でつい一悶着おこしてしまった。

 

坊主が信者から高い金を取りたがるのは、日本もインドも一緒だった。

 

バラナシの街で見かけた遺体

 

ぼくがもう一つ綴りたいのが、ある街中で出くわした一コマ。

 

遺体が神輿に乗せられ、大勢の男たちによって運ばれていた。

 

布に包まれた人体の輪郭が妙にリアルで

 

「あー、俺もこやって死ぬねんな」

 

と感じたのを、今でも覚えている。

 

街を通るのはリキシャやトゥクトゥクばかり。

遺体を車では運べない、バラナシこその風景なんだろうなあ。

 

現地の人々にとっては、毎度慣れたこと。
道を開けて何事もなく過ごしていたけれど、ぼくにとっては「死」をリアルに感じた一コマでした。

 

バラナシで変わる死生観

 

布に包まれたリアルな遺体の輪郭が、今でも頭に張り付いて離れない。

 

今思えばあれ以来、ぼくは頻繁に「死」を意識するようになった気がする。

記念日アプリには自分の残りの人生を記録するようになり、あの時の風景を思い出しては、今日も頑張ろうと思うようになった。

 

バラナシの魅力は数あれど、その1番の魅力は

 

「人は必ず死ぬ」という事実の再確認

 

ができることにあるとぼくは思う。

 

お恥ずかしながら21年も生きてきて、ぼくはこの事実が分かっていなかった。
よくもまあ、こんなテキトーに生きてきたなあと反省している。

 

「遺体を見ろ」なんてのは不謹慎な話だけれど、バラナシに来る機会があればぜひ、火葬場を訪れてほしいです。

できればひとりで。

 

あなたにとっても「死」について、考え直すきっかけになると思います。

 

そんなわけで、バラナシ編でございました。

 

感謝